2006年12月7日(木)


6時起床、最後のお茶を1杯飲む。その後、昨夜の下剤が効いてトイレへ直行。下痢状態で出る。結局3回ぐらい行く。ネットではこの後浣腸するケースが多いがこの病院はなしでした。看護士さんに聞いたら大腸の人で便の色が濃い人にはするそうです。胃の人はそこまでしないとのこと。


7時から歯磨きをして身支度を始める。回診前に寝巻きに着替えて、回診時、医師が点滴用の太い針を左の血管に刺すが、1回目失敗、2回目成功した。これから当分の間これが抜けないのかと思うと憂鬱である。


10時半頃、嫁さんと義父が来る。義父は途中で帰る予定である。手術の予定時間は12時半だがなかなか呼ばれない。通常は予定より遅れることが多いと看護士さんが言っていた。


向えの人が個室に移って行った。


1時間半遅れの14時に呼ばれて、点滴台を自分で押しながら手術室に向かう。手術室の入口まで嫁さんと義父が見送ってくれた。この先は患者と関係者しか入れない。入口を入って直ぐに手術担当の看護士さんが一通りのチェックをしていよいよ手術室へ向かう。手術室はこの先の扉の向こうとのことで歩いて向かう。扉の向こうに入ったら1〜10までの番号が付いた行灯が付いており、「こんなに手術室があるのか」とキョロキョロしてしまった。私は一番奥の9番か10番の手術室に入った。入ると麻酔医の先生が待っており、スッポンポンになって手術台の上に乗る。乗ったら横向きで丸くなり硬膜外麻酔の処置を受ける。麻酔のための麻酔注射が痛いと説明を受けたがそれほどでもなかった。逆にカテーテルを刺すための注射が痛く、1箇所目は断念。2箇所目も痛いようなら硬膜外麻酔を断念すると言われ我慢して2回目で成功した。


次に体に血圧計やら心電計の電極を張られるが、血圧が高いためしばらくそのままの状態で待たされる。その間、酸素マスクを装着されるが密着されると息苦しいため、少し離した状態にしてもらう。酸素マスクが落ち着いたところで、麻酔医から「では、全身麻酔を入れますよ」と声が掛かり、点滴から麻酔薬を入れられる。20秒ほどで意識が遠のき始め自分で「あっ、来ました、来ました」と言っていたのは覚えていましたがその後の記憶は手術が終わるまでありませんでした。


なんか夢を見ていたようで、全体的に白く霧が薄く掛かったような状態だが明るい景色でお花畑を数人の人と散歩しているような夢で数人の人の顔は覚えていません。(ご先祖様かも?)
その夢を見ていたら「○○さん、○○さん」と呼びかける声が聞こえて麻酔から覚める。覚めたら気道を確保していた管が抜かれて呼吸が楽になる。そして、最初に発した言葉が「今、何時ですか?」だった。答えは「夜の8時ですよ」で「えっ、6時間も掛かったのか」だった。当初予定では3時間半だったので”何かあったのかな?”と自覚した。麻酔で朦朧としている割には冷静に頭が回ったと自分を褒めたい。


手術台からストレッチャーに移され病棟の回復室に移動され、回復室のベットに移される。尚、手術が一段落した時点で嫁さんと義父が呼ばれ主治医のS先生から摘出した腫瘍部分の説明を受けたようです。もちろん私はこの時点では知りません。嫁さんは切り取られた胃を見て”牛タン”と思ったそうです。


回復室に嫁さんと義父が顔を出して帰宅した。義父は結局最後まで残ってくれたようです。これも後で聞いたことですが、回復室に戻ってから入室を許されたのが1時間半後だったそうです。
尚、その前に主治医のS先生ともう一人の主治医のN先生が来られて「○○さん、腸の配置がおかしかったけど、前から知っとったあ?」と言われて「え〜、何のこと?」となり、意識も朦朧ぎみなので後日説明となった。


回復室では2時間毎に看護士がガーゼを替えたり、検温したりと頻繁に訪れるので眠れたような眠れないような感じだった。それに鼻から入っている管が機械仕掛けで動いているようで、一定時間毎に胃から吸い上げ、その際、鼻と喉を刺激するので気持ちが悪い。そんな状況で朝を迎える。


この日の体重:計らず
朝食:絶食
昼食:絶食
夕食:絶食
来客:嫁さん、義父