もう左翼にはうんざり

沖縄辺野古事故の件で長々とアップしてきましたが、またまた、ド左翼のどうしようもないことが起こりました。
1.国会議員ともあろう者が職業差別を国会質問でする。
 公人なので名前出します。
 立憲民主党の古賀千景議員が国会にて「自衛隊へ行くのは経済的に貧しい家庭の子」と飛んでもない発言しました。
 「自分の教え子で自衛隊へ入った子は貧しい家庭の子」と言い切りました。
 この人、日教組の組織議員でこんな教員は昔は多くいました。
 日教組所属の教員が「人殺しの子」とか当時でも信じられない自衛隊差別してました。
 親が自衛隊だと成績を落としたりとかあったと聞きます。
 この手の類の話をし出したら一杯出てきます。
 今でこそ、日教組の組織率(文科省統計)は2024年時点で18.8%だそうです。
 私が小学校に入学した昭和42年は57.2%でした。
 年々低下していきますが未加入、脱退理由は様々でしょう。
 未だにこんな輩がいるなんてびっくりです。

2.名古屋大学職員組合が学祭での自衛隊広報活動中止を要求し実行委員の学生が屈服し中止になった。
 名古屋人なんでメイダイ(名大)と呼びますが、全国的には明治大学の明大が有名でしょう。
 旧帝大の名大なんで偏差値高いし、ノーベル賞を受賞した学者先生、卒業生も他大学に比べれば多いと思います。
 学祭での自衛隊広報活動に関しては学祭の実行委員会の学生たちが広報活動を要請し、実行に向けて自衛隊側も準備してきました。
 それが開催前日に中止決定で学生たちも悔しかったと思います。
 文教系の組合は未だにド左翼が蔓延っています。職員組合のXを見たら全く正体隠していません。
 学生たちは全くのニュートラルで純粋に社会的な活動を幅広く知ろうと企画したと思います。
 普段、自治がどうだとか言っているド左翼は自分たちの嫌いなものは一切NOTです。

ド左翼が多くの国民から支持されない(根拠は民主主義に則った選挙結果)のは
普段自分たちが言っている主義主張が嫌いなものには当て嵌めず、自分たちの都合の良いように解釈し否定批判する。
こんな連中誰が信用できるんだ。
典型的なのは中国、北朝鮮、ロシアには抗議しない。
だからスパイ呼ばわりされるんだ。
いつまで経っても政府批判しかしない。
組合の本分は何でしょう?
政治的な思想を広めることか?
労働条件の改善や組合員の保護じゃないのか?
ただ、最近変わったなあと思うのは、今まで政府サイドが批判されても「黙る」か「まあまあ」と有耶無耶にしてしまってました。
しかし、高市政権になって理不尽な言動や批判に反論するようになった。
国会での小泉大臣が古賀議員への反論批判。名大への防衛省からのは反論批判。
そしてマスコミへの反論。先日、赤沢大臣にナフサ不足を認めて増産しろと迫った、自称石油関連専門ポンコツ記者へ理詰めで反論してました。
原油から精製されるのはナフサ100%ではない、精製する際にガソリン、軽油、ナフサ他が同時に精製される。
増産してナフサ以外のものをどこに備蓄するのか?
わかって言ってますか?
と記者撃沈です。
週刊誌の記者らしいがドヤ顔で迫ったようで己のバカさ加減が世に知られてしまい恥ずかしいのう。やはり、記者も名前と顔を出して対等な立場で記者会見で質問しろ。

 

胸糞悪い事件が多い

皆さん、「旭川女子高生殺害事件」はご存知かと思います。2024年4月の事件です。
SNSに写真を無断で投降したと因縁をつけ、呼び出して最後は全裸で橋の欄干に座らせて、川に突き落として殺害した事件です。
ご遺体が発見されるまで1カ月以上冷たい川を下流へ流されて無残な姿で発見されました。
被疑者は主犯格:女A(21歳)、舎弟:女B(19歳)、少年C(16歳)、少女D(16歳) です。年齢は事件当時です。
今、主犯の裁判で検察の論告求刑まで行っています。
舎弟はそれぞれ、女B(懲役23年)特定少年として成人扱いで裁かれました。少年C及び少女(少年院送致)です。
求刑ですが懲役27年です。世間的にはあまりの軽さに憤慨しています。
女Aですが、犯行時から裁判中通して「腐れ外道」としか言いようのないヤツです。
「死人に口なし」で女Aの供述のみですが、女Bの裁判での証人証言で「肩甲骨のあたりを押した」と明確な殺意を証言しています。
しかし、27年。何なんでしょうね。
この事件、こともあろうに事件所轄警察署の刑事と女Aが不倫関係にあり、何から何までどうしようもない連中です。
求刑があった日、被害者のお父様が意見陳述されました。
被告を指さしながら「どうか、どうか、あいつを、あいつを、私の娘の望む判決を下してください。お願いします」と陳述されています。
裁判官、検察官、弁護士は職業柄、涙ぐむこともないでしょう。しかし、裁判員の方には涙を堪え切れずの方もいたそうです。
普通の感覚ならば私でもそうなります。
過去には求刑よりも重い判決が出たこともあります。
こんな外道は生かしておく価値もありません。求刑どおりなら40代後半から50代前半に出所してきます。
こんな阿呆を真面に雇うところもないでしょう。風俗か反社か、いずれにしても娑婆に出たらまた事件起こします。
過去の凶悪少年犯罪でも同様のことが繰り返されています。
昭和の永山事件において最高裁が下した判決を見直すべきです。
司法が甘いと必ず2次被害の事件が起こります。
人の命は人数で決まりません。

ところで北海道で若い年齢層の凶悪事件が多過ぎるように感じます。

旭川の事件と同じ時期に発生した「江別集団リンチ事件」。
別れ話から逆上した女が友人の女と少年数名で被害者男性を殴る蹴るなど長時間にわたって暴行を加え、更にキャッシュカードを奪って強盗致死罪で起訴されました。
暴行された男性はそのまま放置され、腐れ外道どもは奪った金でラーメン食べて帰ったと・・・
今後、順次求刑判決が出ると思います。

旭川と言えば「女子中学生いじめ凍死事件」が有名です。
この事件、いじめたガキどもが一番悪いが、担任教師はじめ教頭、校長、教育委員会含め、全国に「旭川は終わっている」と胸糞悪い事件となった。
ネット上に餓鬼ども、腐れ教員どもの実名が出ている。関係者全員が罪に問われることもなく、いけしゃあしゃあと生きています。
でも、教員を除き、餓鬼ども社会的制裁を食らっているようで、成人したら事件を起こすんだろうな。

 

左翼思想に思う(5)

ここまで左翼の主な事件などを列記してきましたが、他に書ききれないほどの事件を起こしています。
令和の時代では考えられないかも知れませんし、当時でも細かい事件は新聞の片隅程度です。
活動家が公務執行妨害とか有印文書偽造とか微罪程度はほぼ乗りません。
左翼過激派よりオウム真理教事件が大き過ぎて左翼活動家の影が薄くなっていました。

最初に言っておきますが、下記は私の個人的印象です。
(左翼の印象)
・日本共産党が武闘闘争路線を放棄してから既成左翼と武闘革命を放棄できない新左翼に分かれる。
・新左翼も少しの考え方の違いで細胞のように分裂して行く。
・左翼独特の言葉が世に出て来る。子供の頃、意味が不明でした。
 その中で強烈な印象がある言葉が「総括」です。「総括」と称して仲間を殺したり、他派との内ゲバだったりとか意味不明です。
・メンバーの多くは高学歴、難関大学出身です。偏差値の低い自分には絶対に入れない大学ばかりで理解しがたです。
 頭が良すぎて多方面から物事を見ることができなかったのか?
・体制とは無関係な市民を巻き添えにして平気のヘーでおられる神経が理解できない。
・時代と伴に駆逐される武装左翼。思想的にも担ぐ神輿を失っていく。
・思想的神輿が減って行き、反政府なら何でもありとなって行く。成田闘争然り、各種労働紛争然り。
 サミット襲撃然り。そして沖縄問題。これらは左翼思想家のエサのように見える。
・当たり前だが過激派は法令なんて守らない。守っていたらただの左翼支持の一般市民。

(沖縄の印象)
・学生の頃、沖縄出身の友人が数名いましたが、彼らは米軍、自衛隊批判するなんて全くなかったです。
 むしろ、兄弟や身内が米軍施設内で働いている人が多く、米軍は雇用の場との認識です。
 沖縄県内で普通に会社務めできる人は少数と聞きました。
 その友人たちも結局東京など都会の会社に就職しました。戻っても仕事がないそうです。
・社会人になって沖縄出身の社員もいました。年末になると挨拶周りで頂いたカレンダーの中に航空自衛隊の各種航空機の写真が入ったものがありましたが、真っ先に沖縄出身の社員がもらってました。
 で、その人に「沖縄人って米軍、自衛隊が嫌いじゃないのか?」と聞いたら、
 「それは本土からやってきた人たち。ほとんどの沖縄人は本土の人が思っているようなことないですよ」、
 「仕事がないのもあるけど、そうやって騒ぐ人たちが嫌で沖縄を出た」とも言ってました。
・沖縄県は先の大戦で地上戦となり多くの民間人が犠牲になりました。この辺は誰も異存がないかと。
 しかし、本土も米軍の大空襲で多くの民間人が犠牲になっています。広島、長崎はあえて言わなくても分かるかと。
 米軍は大都市だけでなく地方の小都市や田舎でも空襲を行っています。まさに焦土作戦です。
 沖縄は捨て石されたと言われますが、捨て石にするならほぼ負けが決まっている状況で戦艦大和はじめ残り少ない戦力を投入して決戦に挑んだりしません。
 マリアナ諸島、小笠原諸島を取られ飛び石的に本土空襲をしている米軍に沖縄も取られたら言わずもがなです。
 結果的にそうなりましたが。
・前出の沖縄出身の友人や社員に話から騒ぎを起こしているのは本土からやってきた過激派崩れの連中か左翼思想に凝り固まった自称ジャーナリストたちと思う。
・では、なぜ元々の沖縄人の多くが反米、半日を唱える政治家を勝たせているかと友人たちに聞いたら、それは「圧力」があるそうです。強圧ではないが、余計なことを言うと家まで来て脅す言葉はないが、明らかに「圧」を感じるそうです。

 で、結局、関わりたくないので投票に行かないか、行っても白票投じると言ってました。
 まあ、あまり関心がないそうです。誰がなっても「なんくるないさー」らしいです。
・県議会、辺野古地元住民などの話がユーチューブなどで流れますが、結構、まともな人も多いです。
 まともとは「順法精神」です。我が国は法治国家です。法を破れば「違法」となります。

(自分の中での結論)
・左翼は自分たちの論理を通すなら「法なんてクソ食らえ」で違法なことをしても自分たちが信じる正義を通す。
・全く関係ない人たちを巻き込み、時には命を奪っても平気。そんな連中に「平和」などと言われても片腹痛いわ。
・沖縄県警、那覇地検は機能不全を起こしている。
 ダンプ事件で随分時間が掛かりましたが、沖縄県警は書類送検をしましたが検察で不起訴になりそう。
 なお、近年の検察庁不起訴乱発には憤り感じる。せめて不起訴理由を開示すべき。
 強姦したヤツが不起訴とか信じれんわ。
・日本全国で湧いて来る抗議の高齢者、抗議するのは自由だけど公道の使用許可取ってますか?
 違法駐車していませんか? とても法令を守っているとは思えません。
 そもそも地元民から見ると決して愉快ではない。
 偉そうに高齢者と書いていますが自分も高齢者に入っています。
・学校教育における思想洗脳は許されない。
 思想は自分自身で考えて決めるもの。考えず植え付けたらそれは「洗脳」です。
 私が高校3年の時の担任は共産党員でした。
 それは卒業後に勧誘されたので知りました。でも、面白い良い先生でした。
 学園紛争世代なんで自身の学生時代の話を授業で話すこともありました。
 バリケード張ったとか面白可笑しく話すときもありましたが、回らない寿司屋で勧誘された時はびっくりしました。
 その後、マージャンやろうと誘われて、先生のお知り合い宅へ行ったら共産党支部の面々と紹介されました。
 その日、2回目のズッコケです。
 まあ、はっきりと「僕の首は右向け右です」と笑ってお断りました。
 先生たちも「若いがしっかりと政治を勉強していて良いことだ」と大人の対応をされました。
 褒められた???
・左翼嫌いですが、個々の思想信条は尊重します。宗教と同じで勝手に信じれば良いかと。
 しかし、違法行為、洗脳は全く支持できません。
 そんな連中を多くの国民が支持すると思いますか?
 中国や北朝鮮に思想信条の自由ありますか?
 民主主義の我が国だからできるのであって、この2か国で自分好みの活動やってみて下さい。
 人知れずフェードアウトされると思いますよ。
・最後に反基地団体、学校、未成年を巻き込むな。
 亡くなった女子生徒とそのご遺族に心の真から謝罪する気はないですか?
 キリスト教の学校でこのような教育をして宗教を辱めていませんか?
 手段は違うがオウムと結果は変わらない。
 ご遺族のNoteは涙無くして読めません!

==(終)==

左翼思想に思う(4)

ここから先は中核派、革マル派など学生や労働組合系の極左組織が台頭し始めるというより目立ち始める。
特に旧国鉄内の組合(国労、動労、鉄労他)に中核派や革マル派などが入り込み、数々のスト、妨害行為を行って利用者から総スカンを食らっても自分たちの要求を通すことに突き進む。
その結果、スト中に怒った通勤客が暴動を起こして列車焼き討ち、駅焼き討ちなどの争乱となる。
首都圏国電暴動事件、上尾事件などがある。
そもそも国鉄職員は公共企業(三公社五現業)であるためスト権は認められていない。
当時、親方日の丸と世間の人は言ってました。
その後、国鉄民営化でJRへ移行する際、旧労組で特に過激な行動などした職員を不採用となりここでも揉め事となる。それが理由かどうかはもちろんオープンになっていないので想像です。が、しかし、不採用になった職員の多くがそれ系だったらしいです。

不採用の職員は国鉄清算事業団へ移され、再就職支援などやってましたが、税金でほぼ飼い殺しとなる。
JR不採用も他社への再就職も今風に言えば反社は採用されないのと一緒です。

当時より、今の方が採用基準としてもっと厳しいかもしれません。

なんせ企業間取引契約書に「反社でない、反社関連でない」とはっきり書かれています。
昭和50年代になると爆弾やハイジャックといった事件は鳴りを潜めるようになりますが、ヘルメット被って大人数で妨害活動をするようになる。

 

昭和53年以降 成田闘争
成田国際空港開港をめぐって、地主である農民が空港反対を掲げて抗議活動を続けていて、そこに各過激派が乗っかるように大騒動に発展します。成田闘争とは別名で三里塚闘争が正式名らしいです。
成田空港問題は昭和30年代から始まったそうで長い闘争なります。
Googleマップで見ると、令和の時代でも成田空港敷地内に所々飛び地のような場所を確認できます。
ここが今でも反対派の拠点・施設です。従って、成田闘争は現在進行形です。
私が一番覚えているのが開港直前に空港内に多数の過激派が乱入し、過激派と機動隊の激しい攻防の中、数に勝る過激派が管制塔を占拠・破壊しました。その様子をテレビが生中継し、まるで「あさま山荘事件」のようでした。
この永年の闘争では死者7名出ているそうです。警察官4名、工事関係者2名(宿舎に火炎瓶を投げ込んで焼殺しました)、闘争側1名。
もちろん最後は制圧されますが、その後もちょくちょくデモ隊と機動隊の衝突事件が勃発し多くの学生、労組関係者が逮捕されました。
それにしても関係ない作業員を焼き殺すとは許せないです。

その中に学生時代偶々知り合った、学生もおり、コヤツも逮捕されたと聞きました。
でも、直ぐ釈放されたそうで、怒った親が首根っこ掴んで田舎に連れ帰ったと聞きました。もちろん大学はクビです。
知り合った時からそちら系に傾倒しているのは普段の話で知っていましたが、かと言って見た目は普通の学生でした。悪いヤツではなかったです。

尚、私をそちら方面へ誘うことはなかったです。
反対派ですが、最初は団結していた農民たちは徐々に道が分かれて行きます。
十分な補償が得られ離れた人、過激闘争に嫌気がさして離れた人など色々で過激派も担ぐ神輿が減っていき如何心境だったでしょうか?

 

昭和61年 サミット会場周辺ゲリラ事件(中核派他過激派) 円高不況
  これは良く覚えています。円高不況で名古屋圏の仕事が薄くなり、東京本社管轄案件でしばらく東京へ出張扱いで仕事することとなりました。
  作業場所が首相官邸の直ぐ近くにあった国管轄の某施設でした。GooGleマップで確認したら随分と変わっていて当時の場所が特定できません。
  で、最初に会社の先輩から「最近、過激派が金属弾を撃ち込んでいて、施設横のテニスコートに着弾して騒ぎになったので気を付けてね。」と言われました。
  ニュースに関しては知ってましたが、着弾地点が自分が作業する横だったとはびっくりです。
  ここの最寄り駅が地下鉄国会議事堂前駅で地下から地上に出る出口で警察官2名がいつも立っていて怪しそうな人が来ると職質してました。自分は一度も職質されていなかったのですが、偶々、某先輩と一緒に出口出たら職質されました。
  職質内容は「どちらへ行かれますか?」、「変なもの持ってませんよね」ぐらいです。
  尚、先輩は紙袋のみだったので疑われたようで「中身見ても良いですか」と言われ見せたら「少年ジャンプ」のみが入っていて警察官も笑っていました。
  どうも疑われた理由が紙袋だったようです。
  この頃、過激派が迫撃砲のような仕組みで金属弾を首相官邸他、国施設に対して発射してまして、いちいちニュースにならないくらいやってました。
  地方にいるとこの辺の緊迫感が全くないですが、東京では何気に空を見上げるようになってしまいました。
  今は見上げても高層ビルばかりで首が痛くなりそうですが、当時あの周辺はそんなに高層ビルもなかったのです。
  爆弾を使った無差別テロよりマシですが、そんでも当たったら生死に関わります。

(5)へ続く

左翼思想に思う(3)

昭和49年 三菱重工爆破事件(東アジア反日武装戦線)
  恐らくこのグループはノンセクトと言われたどの派閥にも属さないテロ思想組織で
  爆弾を使ったテロを行った。「腹腹時計」という名の爆弾製造教本が地下出版され100円で売られていたそうだ。
  この「腹腹時計」という名前は当時の子供でも知っているぐらい有名になりました。
  三菱重工爆破事件では8名死亡、多数重軽傷の惨事でした。当時、テレビはモザイクとか掛けないので、爆破でビルから落ちて来たガラス片で血まみれの人を映していました。凄惨な映像です。
  このグループは狼、大地の牙、さそりと班を分けてテロを犯します。
  その後、1年間に8件の企業爆破事件を起こしています。
  主犯の大道寺将司、大道寺あやこ夫婦、佐々木規夫を含めあらかた御用となりましたが、後に日本赤軍が起こす海外での人質事件で超法規的釈放で大道寺あやこ、佐々木は海外へ逃亡する。
  この件、日本政府は世界中から非難される。

昭和50年 クアラルンプール アメリカ・スウェーデン大使館占拠事件(日本赤軍)
  日本赤軍はマレーシアの首都クアラルンプールでアメリカ大使館とスウェーデン大使館を襲撃し、大使ら52人を人質を取るという前代未聞の事件を起こす。
  目的は日本国内で捕まったテロリスト7名(日本赤軍は指名している)を釈放し日本赤軍への参加を呼び掛ける。
  7名中2名は参加拒否し5名が要求を受入、超法規的処置で釈放され国外へ移送され、そのまま人質犯と伴に日航機でリビアへ行き、その場でリビア政府へ投降した。投降したというもののリビアはテロ国家そのもので投降=自由の身です。
  当然、その後、事件を起こします。
  ちなみに参加拒否した中にあさま山荘事件の坂口弘がいた。

昭和52年 ダッカ日航機ハイジャック事件(日本赤軍)
  クアラルンプール事件で味を占めたのか、今度は日航機をハイジャックしてバングラデシュのダッカ空港に強制着陸させ、またまた、服役中の日本人テロリストの釈放、身代金を要求し人質と交換を迫る。
  実行犯の中にはクアラルンプール事件で釈放された佐々木規夫、坂東國男、西川純の3名がいました。
  で、9名指名で釈放+当時の金額で約16億円の身代金を要求し、結局6名が釈放に同意し身代金と伴にアルジェリアへ逃亡。
  またまた、超法規的措置で犯人側の要求を飲み、当時の福田赳夫首相が「一人の生命は地球より重い」と述べて世界中から非難された。
  釈放には連続企業爆破事件の大道寺あやこ、浴田由紀子、テルアビブ乱射事件の奥平剛士(射殺)の兄弟奥平純三がいた。
  実はこの事件の真っ最中の時、バングラデシュで軍事クーデターが発生し、ハイジャック犯が得た身代金を横取りし軍資金にしようとしたが失敗。
  大事件中に同じ空港でクーデター部隊と軍が交戦するという前代未聞の大騒動となる。
  ちなみに日本政府は交渉に応じてもらえずバングラデシュの軍司令官が行い、弱腰の姿勢が世界中から失笑される結果となった。
この先、海外逃亡犯を除いて、国内の極左武装集団はほぼ壊滅する。

 

左翼思想に思う(2)

何も左翼だけが悪とは言いません。
私の子供時代は総理と言えば佐藤栄作さん、田中角栄さんでした。
佐藤総理は昭和39年から昭和47年と長期政権でほぼ子供時代はこの総理でした。
田中総理は「日本列島改造論」をぶち上げて日本中に高速道路網、新幹線網を広げて経済を強くすると言ってました。
この改造論は当時小学生でも知っていました。私も凄いなあと思っていたぐらいです。
また、日中国交回復などの大きなことも成し遂げています。
後にロッキード事件で贈収賄罪に問われ逮捕される事件に発展しますが、最高裁上告中に死去して事件真相は有耶無耶で終わります。
ということで当時から自民党は「お金」、共産党、社会党は今ほど没落していませんでした。

しかし、「よど号事件」以降、衝撃的な事件が多発します。
日本共産党から武闘路線を信奉する学生中心に数々分派して行き、数々の凶悪テロ事件を起こして行きます。
今の感覚では到底理解不能です。主犯などがどうなったかはwikipediaで確認して下さい。

大まかに並べても
昭和41年 榛名山山岳ベース事件(連合赤軍)
  警察に追われて群馬県山中のアジトに潜伏していたところ、仲間が信じられなくなったのか総括と称して仲間をリンチして29名中12名を殺害した。
  中には妊娠している女性も日和ったとして殺害、実兄を実弟(3人兄弟で弟は19歳と16歳)に殺させるなど異常な事件を起こす。これを主導したのが永田洋子、森恒夫、坂口弘の3名。
  最終的に残党9名が逃走、4名は逃走中に捕縛され5名がそのまま逃亡。他は怖くなり赤軍から脱走した。

昭和42年 あさま山荘事件(連合赤軍)
  山岳ベース事件から逃れた5名が河合楽器製作所の保養所「あさま山荘」に管理人の奥様を人質に立て籠もり、警官隊と銃撃戦となり警察官2名、民間人1名が銃弾に倒れ死亡。他、報道関係者1名含め27名が重軽傷。
  この事件はテレビで長時間に渡り生中継していたので良く覚えています。
  数年前にアメリカのアポロが月到達や月面着陸などで生中継していた時代なのでこの事件は衝撃的でした。
  この5人中の2名が兄の殺害に加わった。これは主犯の永田洋子が怖くて泣きながら加わったそうだ。
  逮捕された4名の中に主犯の森恒夫と永田洋子がいた。永田とは内縁関係で主犯の坂口弘はあさま山荘に立て籠もる。
  ちなみに大量の武器弾薬は銃砲店を襲って得たものです。

昭和42年 テルアビブ空港銃乱射事件(日本赤軍)※連合赤軍とは別。赤軍派とも呼ばれた。
  連合赤軍は国内でテロを起こしましたが、日本赤軍は海外でテロ活動しています。
  日本赤軍はドイツ赤軍、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)、リビアなどテロ組織と連携しています。
  イスラエルのテルアビブ・ロッド空港で自動小銃や手榴弾で武装した奥平剛士、安田安之、岡本公三の3名が空港ロビーで無差別に発砲乱射し民間人26名を射殺、80名が重軽傷を負った飛んでもない事件でした。
  奥平は射殺され、安田が手榴弾で自爆、岡本は逮捕され終身刑でイスラエルに服役するがその後、政治的取引(捕虜交換)で釈放されレバノンに政治亡命している。
  岡本の兄は「よど号事件」の実行犯。


(3)へ続く

 

左翼思想に思う(1)

あまり政治的な話をネット上にアップすることはやらないようにしていますが、辺野古の転覆事故から黙っておられなくなりました。
前提ですが思想信条は憲法で保障されているので、思想信条については何も言いません。勝手にどうぞ。
ただ、右だろうがノンポリだろうが左だろうが法治国家の一員である以上法令は守るべきです。
ましてやテロなど支持しません。法令違反を犯し、自らを主張するなど支持しません。
思想 > 法令ではない。これが逆転すると独裁になる。

さて、長くなるので数回に渡って自分の子供頃から遡って左翼について書きます。
自分が左翼という存在を認知したのは小学校4年生の時の「よど号事件」です。

「よど号事件」とは昭和45年に発生した羽田発、福岡行の日航機をハイジャックした事件です。犯人は北朝鮮へ亡命するためハイジャックしました。

もちろん、すんなりとは事が運びませんが最終的には平壌へ行き、ハイジャック犯の赤軍派9人がそのまま亡命しました。

後に北朝鮮の日本人拉致事件に関わったのではとの疑いが掛かりましたが、このグループは関与を否定しています。
極左暴力集団は「新左翼」で左翼とは違うという人もいるかもしれませんが当時子供だった自分には全部同じ人という認識です。
今でも暴力集団であろうがなかろうが左翼は左翼と思っています。

もうちょっと遡ると前々から訳の分からない人たちがいるなあ~ という認識はありました。
小学校入った頃だったか夕暮れ時、親戚の車に同乗して名古屋栄の久屋大通で渋滞していました。原因はデモ隊です。
白いヘルメットにマスク姿のデモ隊がジグザグデモしていました。
テレビでは見たことありましたが生は初めてです。
その中から車にいた私に近寄ってくるヘルメットしたお姉さんが風船持ってやってきました。
このお姉さんはマスクしていなくて笑顔の綺麗な方と今でも記憶しています。
で、「僕、風船あげるね」と言われて喜んでもらうとした僕、それに反応した父(たぶん)が「そんなもん子ども渡すな」と言って断っていました。
このお姉さん存命なら80歳前後かと思います。
それから数年経って、テレビのニュース見ていたら、あの時のヘルメット集団が「全学連」(全共闘だったかも)だったとわかりました。
この姿、今でも変わりませんね。

そんな中、公務員だった父が組合活動で悩んでいるようでした。
昭和のこの時代、組合には半ば強制加入、思想的な自由はなく組合がバックボーンになっている政党(社会党)を強制応援&投票という時代でした。
当時は投票に行ったかどうかチェックされるような時代ですので今とは大違いです。
その父も組合の支部委員長?(当番制のようです)になったことがあったようで、組合活動のどこの部分で悩んでいたか不明ですが寝言のように「組合の役員は二度とやらん」と溢していました。
そもそも父は戦時中の17歳の時、旧陸軍に志願(入隊試験があったそうです)して入隊し少年航空兵として浜松基地で飛行訓練中に終戦となっています。
あと1年長引いていたら自分も生まれていないと思います。
よく誤解されますが戦時中でも徴兵は19歳以上で戦局が悪くなるまで20歳以上でした。
従って、父は自らの意思で志願兵となり徴兵ではありません。
中学生の頃、生前の父に陸軍時代の階級襟章を見せてもらました。赤地に1本線が入り星が1つ。星1つだったので父に「二等兵?」と聞いたら「伍長だわ」とのこと。今だったらネットで検索しますが当時は図書館にでも行かないとわかりません。

徴兵より階級的に優遇されていたそうです。
そんな父ですので左翼思想をかなり嫌っていました。
自分の意に沿わないことを強要されるのは苦痛でしかありません。

「よど号事件」以来、左翼活動家は少しの思想的、行動方針の違いでバラバラに分かれていき、昭和40年代から50年代に掛けて数々の事件を起こして行きます。

(2)へ続く